1.立退料と借家権価格の内容

立退料は、老朽化したビルの建替えや再開発事業、公共事業のために用地取得される際に建物の賃借人である借家人に支払われる金銭です。そして、借家権とは借家人に帰属する建物の賃借権であり、借家権価格は借家権に経済地価値が認められる場合の権利の価格です。この二つの概念は、違うものですが、それぞれの定義があいまいで混同される部分もあるので少し触れてみます。

 

不動産業者が老朽化したビルを買取りテナントに対する立退料を支払って開発事業を行う場合などによく言われるのが、一般的に居宅なら賃料の6~10ヶ月分、店舗なら賃料の24~60ヶ月分などの目安ですが、この金額は立退料の総額であり、この中に移転費用や営業補償、造作に対する補償などすべてが含まれているため、特に争いにならない場合には借家権に対する補償が含まれるかどうは明確にされない場合が多いと思います。(自社所有の物件の賃借人に対して立退き交渉を行う不動産開発業者などは、事業収支の範囲で交渉を行うので、借家権価格などが含まれるかどうかなどは意識されることはあまりないです。)

 

“立退料=借家権価格”と捉えられることもあるなど立退料と借家権価格との関係については様々な認識を耳にしますが、理屈としては、借家権価格は立退料の一部を構成する権利の対価であり、もしも借家権に対する補償がある場合には、立退料は借家権価格を含めた賃借人に支払う全ての補償額の合計ですので“立退料>借家権価格”という関係になるはずです。ただ、立退料は借家人が被る経済的損失を金銭的な補填で解決するために支払われるもので、借地借家法28条の正当事由を補完する財産上の給付にあたるものですから、少なくとも次の移転先に移るための費用の補償が必要となるのは当然ですが、この中に借家権という権利に対する補償が必要な事案なのか、或いは既に受領した立退料に借家権の対価が含まれているかどうかは個別的に分析することが必要になってきます。

 

もし、立退料の支払いを受けるような立場になった場合、立退料の受領が借家権価格の存在を意味するのではいので、借家権価格が存在すると思うのであれば、それが立退料に入っているのかいないのか、入っていないのであれば借家権価格はどれ程の価格になるのかを具体的に主張する必要があります。

(難しいのは、借家権自体が市場性をほとんど持たないので、その価格を合理的に説明することです。)

 

ちなみに、税務では立退料と借家権価格を明確に区分しています。

 

税制)

税制面から捉えた立退料を整理すると下表のようになりますが、立退料を構成する補償額ごとに課税内容が異なるため、捉え方で税額も異なってきま。借家権は譲渡所得として課税されることになります。

一般的に、立退料を月額家賃×月数で受領することも多いですが、その場合には内訳が示されていないことも多いため、納税については税理士に相談して備える必要があります。

《税制面からみた立退料》

立退料を構成するもの

課税の種類

内容

借家権

(対価補償部分)

譲渡所得

借家権消滅の対価に相当する部分の金額は譲渡所得に係る収入金額に該当。(所基通33-6)

(収用等の場合の課税の特例の適用あり。)

借家権の譲渡に係る取得費は借家権の取得に当り支払った権利金の額から所基通38-15により計算した金額を控除。

営業補償

(収益補償部分)

事業所得

 

その他

(移転費用補償部分など)

一時所得

借家人が賃貸借の目的とされている家屋の立退きに際し受けるいわゆる立退料。(所基通34-1(7))

一時所得の金額=収入金額-その収入を得るために支出した金額-特別控除額(最高50万円)

引越費用など

上記の通り、少なくとも税制面では“立退料≠借家権価格”としていることが分かります。

立退料の求め方)

立退料のうち、借家権価格については不動産鑑定評価基準に借家権価格を求める手法が明示されており、取引慣行がある場合の求め方と不随意の立退きの場合とで別々に示されています。

また、借家権の対価以外の部分については、用対連基準(「公共用地の取得に伴う損失補償基準」(用地対策連絡会))をベースに借家人補償、工作物補償、動産移転補償、移転雑費補償、営業補償などが算定されます。第1種市街地再開発事業における都市再開発法97条の「通損補償」についてもこの考え方に基づいて補償額が算定されており、具体的な算定根拠が必要となる場合に用対連基準が用いられます。

 

立退料算定における借家権の問題)

立退料を求める場合に問題となるのは、そもそも借家権に経済価値が発生しており、借地権価格が補償の対象になるのかという点です。現実的には、最近の不動産市場で取引はほぼ観察されることはなく、積極的な借家権の経済価値を認めることはかなり少ないといえます。

 

公益社団法人日本不動産鑑定士協会連合会が会員に行ったアンケート(H28.11~H29.1)では、82.9%の会員が借家権が単独で有償で取引された事例は「ない」としており、「ある」と回答したのは2.2%にとどまっています。また、「ある」と回答した全てが借家権の譲渡において賃貸人の承諾があったかどうかを「わからない」と回答しています。借家権は無断譲渡できない権利なので「ある」とされた回答も全部が適正に取引が行われたものかは不明なのです。

借家権は、賃貸人と賃借人で締結された建物賃貸借契約にもとづく債権であり、民法612条で賃借権の無断譲渡が禁止されていることから、裁判所の許可制度により譲渡可能性が担保され物権化している借地権とは大きな差があります。そのため、勝手に借家権を第三者に譲渡すると契約違反となり解除される可能性があることから、通常、流通性は認められない権利なのです。

 

 

2.借家権価格を求めるケース

それでは、どのような場合に借家権価格を求める必要があるでしょうか。一般的には、下記の3つのケースが挙げられます。

 

A.不随意の立退きに伴い賃貸人が賃借人に対して支払う経済的利益を算定する場合

B.公共事業における借家人への補償を算定する場合

C.市街地再開発事業における借家人への補償額を算定する場合

 

A.不随意の立退きに伴い賃貸人が賃借人に対して支払う経済的利益を算定する場合)

 

老朽化ビルの建替えなどの際に、ビル所有者や開発業者からテナントの立退き交渉を受けた場合などが該当します。この時、賃貸人が借家人に対して立退料を支払う理由は、借地借家法28条にあります。

27条では賃貸人が解約の申し入れを行った場合、6ヶ月を経過することで終了するとされていますが、28条で賃貸人及び賃借人が建物の使用を必要とする事情や従前の経過などのほか、財産上の給付が賃貸人の正当事由を補完することになっているからです。

 

『借地借家法』

(解約による建物賃貸借の終了)

第27条 建物の賃貸人が賃貸借の解約の申入れをした場合においては、建物の賃貸借は、解約の申入れの日から六月を経過することによって終了する。

(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件)

第28条  建物の賃貸人による第26条第1項の通知又は建物の賃貸借の解約の申入れは、建物の賃貸人及び賃借人(転借人を含む。以下この条において同じ。)が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない。

 

前述のとおり借家権の取引慣行はほとんどありませんが、不動産鑑定評価基準では、借家権の取引慣行がある場合と賃貸人から明渡の要求を受けて不随意に立退く場合の2つの場合分けで評価手法を分けているため、一応両者の考え方をまとめると以下のような内容になります。

不動産鑑定評価の考え方-

〈賃貸人から明渡の要求を受けて不随意に立退く場合〉

①代替建物等の新規の実際支払賃料と現在の実際支払賃料との差額の一定期間に相当する額に、賃料の前払い的性格を有する一時金を加えた額

②自用の建物及びその敷地の価格から貸家及びその敷地の価格を控除して所要の調整を行って得た価格

①と②を比較考量して決定する。

 

〈借家権の取引慣行がある場合〉

③比準価格

④自用の建物及びその敷地の価格から貸家及びその敷地の価格を控除して所要の調整を行って得た価格

③を標準に④を比較考量して決定する。

なお、借家権割合が求められる場合は借家権割合により求めた価格を比較考量

 

〈賃貸人から明渡の要求を受けて不随意に立退く場合〉の借家権価格ですが、

①の代替建物等の新規の実際支払賃料と現在の実際支払賃料との差額の一定期間に相当する額に、賃料の前払い的性格を有する一時金を加えた額は具体的で把握し易い価格ですが、借家権の対価というよりも不随意に立退く場合の移転補償の一部を構成する性格が強いといえます。(これは、Bの公共事業における借家人補償の内容とほとんど同じものとなっており、この手法で借家権価格を求めた場合、立退料総額の中で賃料差額補償を2重に計上しないようにする必要があります。)

(以下参考)

「借家人補償」:用対連基準(34条)「土地等の取得又は土地等の使用に伴い建物の全部又は一部を現に賃借りしている者がある場合において、賃借りを継続することが困難となると認められるときは、その者が新たに当該建物に照応する他の建物の全部又は一部を賃借りするために通常要する費用を補償するものとする。」と定められており、基準細則第18で具体的な計算方法が定められています。

借家人補償=a+b+c

a:借家人に返還されないことと約定されている一時金

標準家賃(月額)×補償月数

b:借家人に返還されることと約定されている一時金

(標準家賃(月額)×補償月数-従前貸主からの返還見込額)×(1+r)-1/(1+r)

 rは年利率、nは賃借期間で借家人が正味負担する敷金等の差額分の賃借期間中の運用益を現在価値に割引いたもの。

c: 家賃差額

 (標準家賃(月額)-現在家賃(月額))×12×補償年数

  補償年数は従前家賃との差額が2倍以下で2年とされている。

 

②の自用の建物及びその敷地の価格から貸家及びその敷地の価格を控除して所要の調整を行って得た価格については、議論がある価格でこの手法で求められた価格が借家権の経済価値を表すものなのかは慎重に判断する必要があります。①で求めた価格と②の価格は、同列に扱っていいのかというぐらいかなり性格の異なる価格であり、安易に①と②の平均値で鑑定評価額を決定するというようなことはできないと思います。

“自用の建物及びその敷地の価格>貸家及びその敷地の価格”となる場合に借家権価格が存在するというものではありません。郊外の駐車場の広いロードサイド店舗や賃貸中のファミリータイプ区分所有建物、不動産市場の低迷期における投資用不動産などは自用の建物及びその敷地の価格が貸家及びその敷地の価格よりも上回りますが、その差額に借家権価格が含まれているとは言えません。そもそも、最有効使用が建物を賃貸することを前提とするなら積算価格は市場での時価を表すものでなく、試算価格のバランスを測るものでしかありませんし、最有効使用でない自用の建物及びその敷地の価格は評価主体の恣意的判断も介在し易いといえ、その差額が何を意味するのかは物件ごとに違います。

この差額が借家権価格を含むものなのかどうかは、将来における賃料改定の実現性や契約に当たって授受された一時金の額及び契約条件、将来見込まれる一時金の額、契約締結の経緯、原契約からの経過期間、定期借家契約なのか普通賃貸借契約なのか、など様々な角度から総合的に判断する必要があります。

例えば、相場よりも低い家賃で契約されているものの租税公課や土地建物価格の上昇、近隣相場より不相当となった場合、借地借家法32条により賃料増額請求が可能なので賃料改定の実現性が認められれば貸家及びその敷地の価格は上昇するので差額は縮小することになります。しかし、定期借家契約で特約により賃料改定が制限されていれば特約は有効なので(借地借家法38条7項)、賃料改定(上昇)は見込めないことになり、相場との差額賃料が経済価値を帯びるかもしれません。(ただし、権利の譲渡可能性がないので市場価値を認めるには至らないと思います。)

また、例えば、契約締結時に通常よりも多額の礼金が支払われてその分家賃が相場よりも低い契約で賃貸借が行われていた場合に、契約期間の半ばで貸主の都合で立退きをお願いする場合、最初に支払った礼金相当額や相場賃料との賃料差額の想定期間合計額が両価格の差額の一部として表れてくるとこはありますので、自用の建物及びその敷地の価格と貸家及びその敷地の価格の差額がどのような意味合を持っているのかをよく吟味する必要があります。

ただし、一般的には、都市部においては“自用の建物及びその敷地の価格<貸家及びその敷地の価格”となることが多く、このような価格関係が存続する限りは貸主が立退きを交渉することは少ないと思います。

 

現実的に立退き交渉が多いのは、“更地としての価格-建物取壊費用>貸家及びその敷地の価格”となっている場合です。

開発素地として捉えた価格の方が現況の貸家及びその敷地の価格を上回るわけですから、開発業者は立退き費用を支払っても貸家及びその敷地を購入して開発計画を進めていきます。この場合は“更地としての価格-建物取壊費用>貸家及びその敷地の価格+立退料”が成立しており、開発業者は立退料を支払ってマンションやビルを建築して開発利益を獲得しようとする訳です。

この時に議論になるのが、開発業者が獲得する開発利益の中に借家人に分配されるべき利益が存在するかどうか、そしてこれが借家権価格として支払われるべきかどうかという議論です。これも様々な考えがあるのかもしれませんが、開発利益は開発実現性に係るリスクを負う者に帰属すると考えるのが自然で、開発業者にとっては立退き交渉自体が不確実な要素であり、開発業者がその実現性にかかる全てのリスクを負っているのであれば、借家人に配分される利益はないと言えます。開発利益の分配と借家権に対する補償は本来別の話なのです。ただ、立退き交渉の現場では開発スケジュールや様々な事情から立退料の相場を超えてごく一部の借家人に対して多額の立退料が支払われる場合もあり、結果的に開発利益の一部が削られて立退料に回っていることがあるのが現実です。

 

次に、〈借家権の取引慣行がある場合〉ですが、既に確認したように借家権の取引慣行はほとんどないといってよいと思います。

そうすると、③比準価格を求めるための取引事例比較法の適用は困難です。また、借家権割合が求められる場合は借家権割合により求めた価格を比較考量するとされていますが、これも適用は困難です。借家権割合とは土地と建物価格に対する借家権価格の割合ですが、これは借家権の取引が行われた取引事例が存在しないと分析して割合が観察できないのであり、取引事例が存在しないのに借家権割合が分かるということはあり得ない訳です(借地権割合も本来同じです)。比準価格が求められない以上(つまり取引事例が収集できない)、その不動産価格に対する割合も把握できないのが自然なことなのであり、理屈を知らないで借家権割合をあたかも市場で合意され形成された割合のように使用するのは危険と言えます。相続税基本通達で用いられている30%(建物と土地は借地権割合に対する割合)を借家権割合とする考え方が広く使われているように見受けられますが、納税目的以外でもこれを使うべき場面と決して使うべきではない場面がありますので、気を付けた方がいいと思います。

 

B.公共事業における借家人への補償を算定する場合)

公共事業の場合、借家権の権利の対価に対する補償である「対価補償」は行われていません。その代わり、「通損補償」という形で借家人生じる不利益を工作物補償、動産移転料、移転雑費、営業補償、借家人補償が算定されます。

借家人補償は、前記、用対連基準(34条)のとおり一時金補償と家賃差額補償で構成されており、不動産鑑定評価基準の〈賃貸人から明渡の要求を受けて不随意に立退く場合〉に借家権価格を求める手法①とほぼ同じ内容となっています。

対価補償が行われないのは、土地の所有者に対する補償額が借家人による制約がないものとしての補償されなければ、代替地の取得ができないことから借家権についての減価を行わないためであり、土地収用法5条1項の「土地に関する所有権以外の権利」(損失補償基準に規定されるものと同義)にも借家権は含まれないと解されているからで、公共事業において借家権そのものに対する補償は行われないことになっています。

 

C.市街地再開発事業における借家人への補償額を算定する場合)

第1種市街地再開発事業(都市再開発法)では、いわゆる「91条補償」と「97条補償」で権利者に対する補償が行われます。

「91条補償」は権利補償で、地区外転出する借家人に対して権利変換計画において補償が定められます。借地借家法28条の正当事由にかかわらず、都市再開発法87条2項の手続きにより借家権は権利変換期日において消滅することになり、消滅する権利の補償が行われることになります。公共事業と異なる考え方であり、近傍同種の建築物に関する同種の権利の取引価格等を考慮して定めることとなっています。これは、施行区域内の関係権利者でその権利または資力が零細であるものに対して配慮するためと言われています。

「97条補償」は、建物の引渡等により通常受ける損失を補償することとされており、公共事業の場合と同様に用対連基準に基づいて「通損補償」の算定が行われます。

「91条補償」ついて留意が必要なのは、いかなる場合も権利補償が認められるわけではないということです。

東京高等裁判所の判決(H27.11.19)では、「近傍同種の借家権の取引に権利金授受の慣行があるかどうかといった形によって借家権価額の存在が認められる場合には、取引価格を中心に、賃貸借契約の諸条件を考慮して評価するというものであって、近傍同種の借家権取引に照らして借家権価額が認められない消滅借家権についてまで、他の評価方法によって補償を行うことを明らかにしたものとは認め難いから、このような借家権について91条補償をしないことが立法者意思に反するものともいえない。」として借家権の取引慣行がない借家権の補償額を0円としています。

そうすると、一般的に借家権の取引はほとんど観察されませんので、「91条補償」を受けるのはごく限られたケースになってくるわけです。

 

 

3.まとめ

いずれにしても、通常、借家権の価格を見出すのは難しく、もし、借家権価格が生じている合理的な根拠が必要であれば不動産鑑定士に相談したほうがいいです。

税務的にみると、立退料として受領した金銭を全て借家権の対価とすると、譲渡所得税がかかってきますので(長期譲渡所得で取得費、譲渡費用を控除した額の20.315%)、移転に対する補償とした方が一時所得として移転費用や特別控除(50万円)を差引けるので、受け取る名目にも気を付ける必要があります。

 

以上